BOGGYのイタリア料理と山と野草

イタリアファンのBOGGYが作って食べるイタメシのプログです。 登山、ピクニックのアウトドア・イタリアンはいかがでしょう。 革工芸も始めました。

一枚の絵に思う

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 猛暑にうだった8月、冷房の効いた部屋にこもっていて、ネットでこんな絵を見つけた。
その瞬間には涼しい絵だなぁという印象だったけれど、絵の題名は「オフィーリア」だった。



調べてみてすぐ分った。
オフィーリアは「ハムレット」の小説に出てくる宰相ポローニアスの娘で、川に身を投げて自殺する悲劇のヒロインである。
その悲劇をミレーが描き、ミレーの代表的な名画として残された。

アルチュール・ランボオが、この「オフェリア」の詩を書いていることも知った。
「星のまどろむ、静かな黒い流れを
蒼白いオフェーリアが、長いヴェールをしとねに、
大きな百合の花のように漂いゆく…
――はるかな森からは、角笛の音が聞こえる。

千年よりも昔から、悲しいオフェーリアは
白い幻となり、はてしない黒い大河を流れてゆく
千年よりも昔から、オフェーリアの切ない恋狂いは
暮れゆくそよ風に、あのロマンスをつぶやく」
この詩はこんな感じで書き始められている。

暫くこの絵を見ていたけれど、この絵がハムレットの話から描かれたと知りながらも、私は全く別の小説のシーンを思い出していた。
それは高校生の頃に読んだ、ゴールズワージーの短編、「林檎の樹」(The Apple Tree)のシーンだった。
親父は疎開で東京を離れる時に、集めた蔵書とSPレコードを手放すことが出来ず、疎開地まで持ってきていた。
私と私の姉は田舎の小さな借家の家中に、所狭しと詰まれた蔵書とSPレコードに埋もれて育ったせいか、読書と音楽を聴くことが好きだった。
そして姉は自分が読んで面白かった本を無理矢理私に読ませる癖があって、「風とともに去りぬ」を始め、「赤毛のアン」とか「若草物語」など、あまり男は読まない本を無理矢理私に読ませた。
そしてゴールズワージーの短編小説、「林檎の樹」もその一つだった。

私の高校時代は、プレスリーとパット・ブーンが出現して、ファンを二分していた頃で、「林檎の樹」は当時の女学性必読のロマンス文学だった。
若い学生が田舎を旅して、そこで魅力的な村娘に出会い、恋をする。
青春の一瞬を切り取った小説だったけれど、若い人たちの心を揺さぶる小説だった。
そしてこの村娘は、学生の心変わりに絶望して、浅い小川で自殺をしてしまう。
私はこのシーンを、このミレーの絵を見て思い出したのである。

その時、こうした高校時代の思い出がまるで洪水のように流れ出てきて、胸が熱くなった。

この小説の作者ゴールズワージーはノーベル文学賞を受賞した英国の作家だけれど、現在の日本ではほぼ無名と言えるほどに忘れ去られてしまった作家である。
しかし、その文章は技巧に満ちた、天才的な文章とも言えるもので、情景の描写など、高校の文芸部に居て、いたずらに小文を書き散らしていた私には到底まねのできないものだった。
また、この小説には、はなからギリシャ神話、エウリビデスの「ヒポリタス」が引用され、その神話と小説の内容がどう関わるのかは、無学の高校生にはとても理解ができなかった。
齢70に近づいて、今ならこの小説の理解もより深くなるかもしれないと、無性に読みたくなって、この本を買ってみた。

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高校時代に読んだ本同じ訳者だったが、体裁は文庫本になっていた。
140ページに満たない短編なので、一夜で読みきったけれど、久々に「文学」の香りをかいだ一編だった。昔読み落とした意味合いが今なら良く分るのも年の功というものなのだろう。
そして、この小説は、今から22年前(1988年)に、「サマーストーリー」という題名で映画化されていることも知った。
調べてみると、一度DVDでリリースされてはいるものの、レンタルシヨップの何処にも無くて、ネットのオークションで見つけたVHS版をようやく手に入れた。

ここで、私が何時も気にしている、小説と映画化の違いに関するテーマにまた出会った。
映画では、この絵のような印象的なシーンを連想させる、ミーガンの入水自殺の筋書きは無くなっていて、別の話になっていた。
文字で読む小説は、筋書きよりも、その文体の素晴らしさで十分読み応えのあるものがある。
しかしそれは映像化され難いもので、文章と映像の質的違いに関わってくると思う。
その分映画では筋書きへの比重が高くなり、起伏のあるものに変えないと持たないという事情もあるのだと思う。
それはそれで、変えられたエンディングも私には印象深くて、原作の骨子を壊すものではないのが救いであった。
映画の最後のシーンに、野に咲く花が写される。
一瞬あっ!この花は!と感動したのだけれど、その花はヤナギランであった。
今、私がとても好きな野草の一つで、毎年霧が峰に行き、この花に会うのが楽しみなのである。
もし5年前に、この映画を見たとしたら、この花の名前どころか花に目も行かなかったかもしれない。
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高校時代よりも、読んだり、見たりした後での、胸の疼きがより感じられるのは、遥かに過ぎ去った青春時代への哀歌を、これに感じるせいかもしれない。

岩波文庫版の解説によると、「ゴールズワージーは友人と徒歩旅行に出かけ、デボン州のマナトン村に滞在した。そこに「ジェイの墓」と呼ばれる名所がある。伝説の少女ジェイは失恋のあげく自殺したため、教会の墓地には埋めてもらえなかった。」
この話が小説のヒントになっているという。
ネットの「林檎の樹」のWikipediaでは、末尾の方に、"若き日の川端康成がこの「林檎の樹」を耽読していた。それが「伊豆の踊子」などの川端作品に影響を与えている。"とある。
二作とも若い頃の自分の旅先での出会い、経験が小説のヒントになっている。
二つの小説の情景描写や、心理描写の緻密さは、甲乙つけ難いほどに技巧に満ちた文章であること。
こうした共通点から、"川端康成がこの「林檎の樹」を耽読していた"ことがいかにも事実のように思えるのだけれど、少し調べてみた。

ネットのブログなどでは幾つかこのWikipediaの情報を丸写しにしていると想像できるものがあった。
しかし、図書館でこの「伊豆の踊子」の識者の論評、解説を幾つか調べてみると、川端康成がゴールズワージーに傾倒していたなどとの記述は一つもない。
ゴールズワージーがこの小説を発表したのは、1916年で、 川端康成が17才の時。
この年には「京阪新報」に小作品や「文章世界」に短歌を投稿している。
1918年か19年に、川端康成は伊豆へ旅行をして「湯ヶ島の思い出」を書く。
この中に「伊豆の踊り子」との出会いのエピソードが書かれているが、ようやく1926年になって、このエピソードが独立して「伊豆の踊子」として発表された。
さて、このゴールズワージーの本を、1926年の「伊豆の踊子」の発表までに、川端康成が読むことが出来たかということでは疑問がある。
原題「The apple-tree」の英語原文では、開隆堂書店から、昭和7年(西暦1932年)に国内で出版されていることが国立図書館データベースに記録されているが、この本では間に合わない。
つまり川端康成が読むとしたら、英国で出版された本を直接取り寄せて読むしか方法がなく、彼の当時の生活状況と、難解な英文を読むほどの英語力が当時の川端康成にあったかは非常に疑問である。
1920年に、東京帝国大学文学部英文学科に入学しているが、すぐに英文学科から国文学科に移っている。
もしゴールズワージーを耽読するほどに傾注していたとするなら、何時その本を読んでいたのか・・合点の行かない話である。

ちなみに「林檎の樹」の日本語の出版は、渡辺 万里訳 新潮社 (1953)、守屋 陽一訳 集英社 (1994) など、日本語版は問題外の時間のずれがある。
いかにも、二つの小説の共通点を見ると、ありそうな話に見えて来るけれど、この説を裏付ける納得できる事実や状況証拠は見つからなかった。
こうした信憑性のない情報がネット時代になって、流布される速度が高くなるのは歓迎できることではない。
ネットの情報を丸呑みして、その情報をただ受け渡すことには注意が必要だと思う。
久しぶりに青春時代に触れ直した夏であった。

映画「サマーストーリー」
http://www.youtube.com/watch?v=tSusWdSP--g

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コメント


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ジオンさん今晩は。
相変わらず精力的に山行されてますね。
ブログにはお邪魔していますが、コメントしないまま失礼しています。
来月のBOOGY会の予定考えて下さいね。

BOGGY | URL | 2010-09-30(Thu)19:25 [編集]


こんばんは
ご無沙汰しています。m(_ _)m

このところ、本は山の本しか読んでなくて、
落ち着いて本を読む時間があるといいですね。

群生する花はどれもきれいですが
ヤナギランはききれいですね。

ジオン | URL | 2010-09-29(Wed)20:24 [編集]