BOGGYのイタリア料理と山と野草

イタリアファンのBOGGYが作って食べるイタメシのプログです。 登山、ピクニックのアウトドア・イタリアンはいかがでしょう。 革工芸も始めました。

噂の一人歩き・・・今解き明かされる鶴きそばと司馬遼太郎の関係の真実は・・・


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 2004年に、今は退会したSNSの一つに、「有名店の味」というタイトルで、滋賀県の大津市坂本の日吉大社の大鳥居のわきにある「鶴き」という蕎麦屋のことを書いた。

これはその年に、琵琶湖の沿岸を友人とドライブしている時に、その友人が、「司馬遼太郎が小説の中で紹介して有名になった蕎麦屋がある」と言うので行ってみた時の感想で、以前に投稿したままの原文を紹介します。



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「有名店の味」(2004/04/07)


琵琶湖周辺は、岐阜からは近いので良く週末の気分転換に出かけている。
お昼を食べる時間になり、同乗の友人が、司馬 遼太郎が小説の中で紹介して有名になった蕎麦屋「鶴き」が対岸の日吉大社のそばにあるというので行ってみた。
日吉大社の鳥居の横道を左に二、三軒入った所にあり、横道の角には別の蕎麦屋があって、良く間違えてそこに入る人も居るらしい。
店は創業何百年などと謳っているだけあって、貫禄は十分、神社への参拝客など、ひきもきらずに客は多い。
さて、私は蕎麦はザルも好きだが、鰊蕎麦のファンで、何処でも食べられるチャンスがある時はこれを試すのだ。
岐阜に来て二年目に、機会があって三十年ぶりに鰊蕎麦を考案した京都の「松葉」を訪ねたが、すっかり建物も味も変わっていたのに驚いた。
この鶴きの鰊蕎麦は、鰊が生っぽく煮こんだ鰊の熟成が足りない。
松葉の方がまだましで、ここは落第。蕎麦そのものも、茹ですぎ、蕎麦の香りもしない、つゆは薄味だがコクがない。
つまり、なんてことのない、ただの蕎麦屋だったのだ。
これより間違いなく美味しい蕎麦を出す店は、今は岐阜でも他にもゴロゴロある。
もう時代は大きく変わり、いわゆる日本のグルメも質的に変わって来ている。
私の好きなイタリア料理に限らず、日本料理も、料理人の研鑚の努力と、食べる側の味の感覚の練磨など、質的により高くなり、なまじ伝統や過去のしきたりや知名度だけに頼るものはこうした時代にズレを生じてしまう。
知名度に頼って一回こっきりの観光客を相手にしているので、こうして繁盛しているのだ。
地元の人は見向きもしない店かもしれないのだ。
イタリアに行っても同じパターンはあって、世界中でこうしたパターンはあるのだと思う。
つまり美味しい店は、「地元のファンが出入りする店を選べ」、これがこのパターンの店に対する客側の防衛手段で、これも世界共通の教訓になると思う。
間違えて、手前の違う店に入ってしまっても、そっちの方が美味しかったら幸いというものだ。
司馬 遼太郎がこの店の蕎麦を食べた時は、もっと美味しかったのか、今と同じなのかは分からない。司馬 遼太郎の舌が鈍感で、ただお腹が空いていたせいで美味しかったのかもしれない。
有名人が一言書いただけで、有名になり、商売はとんとんと売上を伸ばし、本店というからには支店も出来たのだろう。
知らない土地で、美味しいものを見つける楽しさは捨て難いものがある。
しかし当たり外れもついて回る。これも承知の上でやはり行ってみないと、美味しいものにも巡り合えないのではないだろうか。
(終)

こんな文章で、わざわざ回り道までして行った「鶴き」が特別美味しいとも感じないタダの蕎麦屋と思い、「司馬 遼太郎がこの店の蕎麦を食べた時は、もっと美味しかったのか、今と同じなのかは分からない。司馬 遼太郎の舌が鈍感で、ただお腹が空いていたせいで美味しかったのかもしれない。
有名人が一言書いただけで、有名になり、商売はとんとんと売上を伸ばし、本店というからには支店も出来たのだろう。」と書いた。
この文面からすれば、多少は司馬 遼太郎の味覚のセンスを疑ったりして、失礼極まりないことかもしれないと、ずっと心の何処かに小さなドケがささったような気がしていたのである。
今年の2月の末に、何時もお世話になっている県立図書館の本棚を、これと言った目的もなく並んだ本を流し見していると、司馬 遼太郎の「街道をゆく」というシリーズの本がずらりと並んでいる棚に出会った。

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これは全60巻の大巻で、調べてみると、「1971年(昭和46年)から1996年(平成8年)まで週刊朝日に連載された短編紀行集で、司馬が47歳の時に連載を開始し、司馬の死によって『濃尾参州記』が絶筆となった。」という。
図書館の本棚には、ざっと見て30数巻しか置いてなかったが、適当に抜き出してパラパラと目次を見ていると、叡山の諸道、最澄、そば、というタイトルが目に入った。
「街道をゆく」の第十六巻であった。

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その場で立ち読みをし始めてすぐ、これはもしかしてあの蕎麦屋、「鶴き」の事かもしれない・・と瞬間、その偶然の出会いに鳥肌が立った。
章の頭には蕎麦屋のイラストもあって、三ページほども流し読みをすると、まさしく「鶴喜」という字が目に飛び込んで来た。

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ああ司馬遼太郎の「鶴き」の蕎麦の感想がここに書かれていたのか・・・これが「鶴き」を有名にした逸話なのか・・と半ば興奮しながら、その場にしゃがみこんで続きを読んだ。
しかし、そこには、私の想像もしない驚き、かつ可笑しい事実が書かれていたのだ。
司馬 遼太郎は、何かの取材で、友人の須田画伯と取材誌の編集者と三人で、大津坂本のあたりをドライブしていて、「坂本の古い蕎麦屋」の事を思い出した。
それは、以前、富山市で土地で評判の良い店に行った時、その店の主人は、坂本のナントカヤと言う蕎麦屋さんで修業したという話を聞いた。
その事を思い出して、同乗者達に、「坂本には古いそばやさんがありましたな?」と聞いたのである。
そして記憶力が凄いと司馬 遼太郎が一目置いている須田画伯が、「鶴喜」でしょうと即答したのである。
そして三人は「鶴喜」に向かうのだが、日吉大社の大鳥居のすぐわきにある「日吉そば」に間違って入ってしまう。

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確かに、日吉大社の大鳥居のわきの目立つ場所にこの蕎麦屋はあって、「鶴き」はこの店の横丁を入った数軒目にあり、私もこの店を「鶴き」と間違えそうになったのだけれど、司馬遼太郎達は間違えて入り、蕎麦を注文してしまってから、その間違いに気が付くのである。
間違って入った蕎麦屋で注文までして、今さら店を間違えたと、出て行く訳にも行かず、こんな客を何人も見ている筈の、店の女店員のそんな心の中を想像したりする文章が続くのである。
結局、司馬遼太郎は、この「鶴き」には行ったことも、その蕎麦を一度たりとも食べてはおらず、「鶴き」そのものを文章の中で誉めたりもしていないと判ったのだ。
ただ司馬遼太郎の連載で、週間朝日にこの間違いの話で、「鶴き」の名が載った事実があるだけで、それが一人歩きを始めて、「遼太郎が小説の中で紹介して有名になった蕎麦屋」、「遼太郎が誉めて有名になった蕎麦屋」などと口伝に、いかにも「司馬 遼太郎が鶴きの蕎麦は美味い」と言ったかのように、人々の受け売りの言の葉で、話の中身が変身していったのである。
つまり、私が「司馬 遼太郎がこの店の蕎麦を食べた時は、もっと美味しかったのか、今と同じなのかは分からない。
司馬 遼太郎の舌が鈍感で、ただお腹が空いていたせいで美味しかったのかもしれない。」なとど書いたのは、司馬遼太郎にすれば大迷惑で、とんでもない言いがかりだと、あの世で怒っているかもしれないということだ。
ここに改めて、司馬遼太郎の名誉回復のため、偶然見つけたこの面白い事の真実を明かすことにした。
しかし、「鶴き」さん、真実とは裏腹に、思いがけずこんな幸運が舞い込んで、客はひもきらず、支店まで作れたのだから、司馬さんの名誉のためにも、ちゃんと美味しい蕎麦を作ってはいかがでしょう。
間違った噂で、遠路わざわざ「鶴き」を訪ねて損をしない一般の罪無き人たちのためにも、鶴きさんへの注文に、この一筆を加えておきましょう。

註)司馬 遼太郎の「街道をゆく」には「鶴喜」となっているが、本当の店の名の「き」は、本の挿絵の看板に書かれている、七の下に比と書くような字で、現在の第三水準の漢字にも無い字である。

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