BOGGYのイタリア料理と山と野草

イタリアファンのBOGGYが作って食べるイタメシのプログです。 登山、ピクニックのアウトドア・イタリアンはいかがでしょう。 革工芸も始めました。

映画で見た二つの肖像画(2)


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真珠の耳飾りの少女(青いターバンの女)

以前、小説が映画化された作品について書いたことがある。
先に本(原作)を読んでから映画を見ると、ほとんどの場合はガッカリすると書いて、ただ一つ、スティーブン・スピルバーグのデビュー作の映画「激突」は例外だったと書いた。



そして、とても好きだった、クイネルの小説「燃える男」が映画化されて、これが近日公開と知って、見たいけれどまたガッカリするのでは?と書いて終わった。
後日そう言いながらもやはり見ないではいられなくて見に行ったが、ガッカリ所か、全く頭に来ると言いたいほど、原作の好きな部分がそっくり抜け落ちた愚作になっていた。

こんな訳でいよいよもって先に読んだ小説の映画化作品には期待が薄れる一方だったのだけれど、久しぶりに、読んだ小説の、私のイメージを超えた、とても心に残る映画を見た。「真珠の耳飾りの少女」である。

監督は私が感激したスピルバーグの「激突」と同じように、やはりこの映画が処女作で、ピーター・ウェーバーという無名の監督だった。これまでの作品ほとんどイギリスのテレビ番組だったが、いずれこの監督はきっと名監督と言われるようになるかもしれない。
調べてみたがイギリスのネットでも、この監督のバイオグラフィ情報はほとんど皆無で、出て来る情報はほとんど、この映画「GIRL WITH A PEARL EARRING」の監督という一行だけだ。

映画はオランダの画家、ヨハネス・フェルメール(1632年-1675年)の書いた名画「真珠の耳飾りの少女」(別名:青いターバンの女)と同名で、この絵の誕生にまつわる小説「Virgin Blue」(1997年トレイシー・シュヴァリエ原作)を映画化したものだった。

オランダの画家といえば、レンブラントを知っているくらいで、フェルメールについては、美大で西洋絵画史などを受講していながら全く知らなかった。(きっと講義を聞き流したのだと思う)
数年前にテレビで偶然、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」という絵についての番組を見て初めて知ったのだ。
そして、この絵がヨーロッパでは「北方のモナ・リザ」と呼ばれて、とても人気のある絵だと知った。
たしかに画面に映されたこの絵は、当時のオランダ絵画に共通する、光と影の使い方、遠近法と精密な描写などの技術的な共通性はレンブラントにも通じる手法だっが、大胆に補色を配した構図で、私には何故かとても謎めいた不思議な雰囲気の絵で、非常に強く印象に残ったのだった。
番組の中で、フェルメールはオランダのデルフトで生まれ、終生デルフトで暮らしたと聞いた。
私が若い頃、初めてヨーロッパを訪ねた時、羽田を発った飛行機は当時最も近代的な空港と言われたオランダのスキポール空港に降りて、初めて訪れて泊まった場所がこのデルフトだった。
ここはデルフト焼きが有名で、デルフト・ブルーと呼ばれる鮮やかなコバルト色の絵付けによる陶器やタイルの産地だったが、こんな画家がここに居たと知って、デルフトの街の風景が記憶の底から蘇った。
デルフトにはハーグからデルフトヘ通ずるスヒー運河が街の中央を横切っている。
ヴェネツィアで良く見た、太鼓橋のように少し盛り上がった橋がかかっていたりする運河の街でもあった。こんな橋を渡って、昔のデルフト焼の絵付けなどを見せてくれる工房を訪ねたのだった。

テレビを見てから暫くして、「真珠の耳飾りの少女」という翻訳小説をネットの書店で見つけて、これがテレビで見たあのフェルメールの真珠の耳飾りの少女という絵の誕生にまつわる話だと知って、早速この本を買った。
つまりこれも、映画を見る前に原作を読んでしまったケースになって、またガッカリするかもしれないという思いで、この映画を見たのだった。

この映画の主題は、名画「真珠の耳飾りの少女」について、事実はこのモデルになった少女のことも、描かれたいきさつも不明なのだが、小説の原作者トレイシー・シュヴァリエはこの絵を見て触発されて、この少女の謎を自分の想像の世界で解き明かした。
こうしてトレイシー・シュヴァリエの処女作は、世界で200万部も売れるヒットになった。
映画を見始めてすぐ、私はこの映画に引き込まれて、17世紀のデルフトの街に居た。
16才の、少女が女に成って行く微妙な時期に、生まれてから暮らしていた家を出て、画家の家に初めて女中奉公に出る、不安だらけの状況におもわず同化していった。
モノトーンの画面のようなしっとりとした映像と、セリフが極端に少なく、淡々とした描写でストーリーが進む。
やがて画家の一家の構成、フェルメールが婿入りして結婚したとか、妻の母が実権を握っているとか、フェルメールと妻の関係や、意地の悪い小姑など、少女の新しい環境が次第に明かされて行く。
16才の少女が妻子のあるフェルメールに惹かれ、その内面の戸惑いや、女になって行く微妙な時期の官能的な部分が、無名の新人女優スカーレット・ヨハンソンの素晴らしい演技もあって、みごとに描かれている。私自身の想像力を遥かに凌駕するイメージの世界が展開されていた。
フェルメールは、静謐の画家と言われているが、この映画そのものも静謐な映画を求めた監督の感性が見事で、モディリアーニの映画とは対極にあるように、演出も演技も控えめで、クドイ説明的なシーンなどはなく、淡々と静かな画面で話しが進み、しかし見る者は次第にこの世界にひき込まれて行く。
つまり物語は、完全なフィクションなのだが、画家の家族構成、絵の具や当時の絵画技術、社会などの時代背景には、綿密な調査と考証によって再現されていることもあって、この物語が、まるで真実のように思えてしまうのである。

これは是非みなさんに見て頂きたい映画なので、これ以上ストーリィを書きたくないのだけれど、本を読んで、私の頭の中に描いたイメージを、この映画は凌駕していて、スピルバーグの感性に驚嘆したように、この映画の監督や、カメラマンの感性、才能に脱帽するだけである。

フェルメールは、残した作品が36点と、非常に寡作の画家で、そのほとんどが人物や肖像画で、モディリアーニと良く似ているが、逆にモディリアーニは300点も残した。
両者とも、生前には評価されず、経済的にかなり苦労したのも良く似ている。

この二つの映画は、私の個人的な感想で一方は駄作、一方は清清しい秀作に分かれたが、この二つを見比べてご覧頂くのも一興かもしれない(終)


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