BOGGYのイタリア料理と山と野草

イタリアファンのBOGGYが作って食べるイタメシのプログです。 登山、ピクニックのアウトドア・イタリアンはいかがでしょう。 革工芸も始めました。

二つの塔に魅せられて(1)明通寺三重の塔

00三重の塔
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 岐阜に来て7年目の2007年8月に、以前から興味を持っていた「鯖街道」を訪ねて、琵琶湖の湖北を回り、近江の今津町から、国道303号(若狭街道)で西に向かい、京都からの国道307号(鯖街道)に出会って福井の小浜に向かった。

その途中で、福井の名刹、明通寺を訪ねたことを「鯖街道と明通寺」というタイトルでブログに書いた。

「鯖街道と明通寺」


その時、訪ねた明通寺の瀟洒な佇まいの、そしてとても美しい本堂と三重の塔に魅せられてしまった。
その後もまた夏に再び明通寺を訪れて、人気のない静かな境内で、心が癒される時間を過ごした。
昨年の4月、私の母校の双葉高校の同級会を岐阜で開催し、岐阜と滋賀の彦根を案内した。
遥々参加してくれた同級生の皆さんは、桜満開の金華山の岐阜城や、同じく桜の見事な彦根城を見る事ができて、とても満足してくれた。
卒業以来五十年ぶりに再会できた人も居て、感激の二日間だった。
同級会の幹事など初めての事で、やり終えてからその大変さに驚いた。
これまで気楽に同級会などに参加していて、全く幹事さんの気苦労などに気が行かず、感謝の気持ちが足りなかったことを痛感した。
そんなことで、自分への慰労として、好きな鯖街道をドライブして福井の小浜に、美味しい魚料理でも食べに行くことにした。
勿論あの明通寺を訪ねて、素晴らしい三重の塔や本堂をまた見たいと思ったのだった。

 4月13日の朝はゆっくり目に出発して、琵琶湖の湖北に回ると、岐阜ではすっかり終わっていた桜が、ここでは満開で、あちこちに咲いた桜を見ることが出来た。
峠から琵琶湖を見下ろし、今津に下る道脇の桜も見事だった。

湖北の桜01


今回は鯖街道の途中にある、「熊川の宿」にも寄ることにしていた。
ネットの噂で、ここの鯖寿司が美味しいと評判だったので、大好きな鯖寿司が美味しいならと、試してみたくなったのだった。
今津からの303号線は琵琶湖を離れて山道に入り、水坂峠を過ぎて暫く走ると、左側に集落が現れる。街道から左に入ると、ほんの三百メートルほどの旧街道に熊川の宿場がある。
ここには三々五々観光客風の人たちが歩いていた。

熊川の宿01


この旧街道の中程に、そのお寿司店はあって、名は「まる志ん」という。
この宿場には寿司店はここ一軒しかないので、名前を忘れても大丈夫だ。

まる志ん


平日なのに、お客さんは数組見えた。やはり人気のある店のようだ。
目当ての焼き鯖寿司を注文すると、かなりのボリュームのもので、香ばしく、身のとても厚い鯖で、噂通りに美味しかったけれど、とても全部は食べ切れなかったので、残りは持ち帰りにさせて貰った。

焼き鯖寿司01


鯖街道を通る時には、また一つ寄る所が増えたなぁと思いながら明通寺に向かう。
このあたりの鯖街道は27号の丹後街道と名前が変わっている。
小浜線の新平野駅を過ぎて1キロ少しの東市場の信号を左折する。
すでに勝手を知っている道を走り、明通寺に到着した。
これが三度目の訪問である。
駐車場に車を止め、今回はデジカメだけでなく、一眼レフのカメラも三脚も用意する。
駐車場からお寺に向かって、この橋を渡るのだけれど、私はこの橋が大好きなのだった。

01ゆずり橋


これまで二度とも真夏の時期にここを訪れていて、この橋の上に佇むと、下の渓谷からひんやりと涼しい風が吹き上がってきて、火照った体を冷やしてくれたのだ。
橋には、「棡橋」と名が付いていて、下の川は「まつながかわ」の名が付いている。
昔この辺りは「まつなが谷」と呼ばれていたらしい。
この橋の名の「棡」の字が読めなくて、帰って調べると、この字は第二水準、12画の漢字で、音読み)「コウ」(訓読み)「ゆずり」とあった。
この字の意味は不明で、「地名に使う」とのみ書かれていた。
その後、明通寺の山号は棡山( ゆずりさん)であることが分かり、そこからこの橋の名前が付けられたと理解した。
百科事典マイペディアの解説には「明通寺は9世紀初め坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が草創と伝え,棡(ゆずり)寺とも。」とある。
この寺にはこの「棡」に縁があるのでしょう。

橋を渡って上の広場に出ると、ここにも人気はなく、満開の桜が静かに向かえてくれた。左奥の前庭には枝垂桜が咲いているのが見えた。

02広場


急いでこの桜の前庭に回る。
このお寺には、こんな見事な桜があるとは、これまで二度とも夏だったせいか、思いもしなかった。

03枝垂れ桜
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夕刻小浜のホテルに着くと、フロントのスタッフの人に、「明通寺の枝垂桜は土地では有名ですよ。良い時にお出でになりましたね。」と言われた。
岐阜を出る時には、「桜」はもうとうに終わっていると思っていたので、思いがけずに二度も桜を楽しませて貰ったことになった。
ここの枝垂れ桜は、初めて見ると、一本の桜の木に白とピンクの花が咲いているように見える。
実は二本の桜が植えられていて、見事に白とピンクの花が交わっていたのだ。

04枝垂れ桜
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見事な桜を独り占めにして楽しんで、階段を登り、歴史を感じる山門をくぐってお寺に上がった。

05山門


山門を入ると右手には鄙びた鐘楼がある。

06鐘


社務所の前には、小さな湧き水の池があって、錦鯉が優雅に泳いでいた。

07池


傍らの植え込みには石楠花が咲いていた。最初はつづじの花と思った。
登山で見る山の石楠花は6月頃なので、桜と同時に石楠花を見るのは意外だった。

07-2石楠花
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社務所前の小さな階段を上がると、ゆるやかな本堂へのアプローチになる。
また来ましたという昂ぶった気持ちが、この小道を歩いている間に、少し静まるような気がした。
明通寺は名刹ながら山の傾斜地に開かれたこじんまりとした寺の印象だ。

08アプローチ


本堂への階段まで来ると、本堂の端正な姿と奥に三重の塔が見え、ひっそりとした人の気配のない静かな空間に誘われるように入って行く。

09本堂
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本堂の前に立つと、また一段高い所の三重の塔が、これまた端正な姿で私を迎えてくれているような気がして、ついまた会いに来ましたよと呟いた。

10三重の塔03
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数年前に、二度目にこのお寺に来てから、これまでの間に、私がどうしてこのお寺に魅せられてしまったのか、その理由はうすうす分かったような気がしていた。

11三重の塔02


この角度から、塔を見た時に、なぜか遥か50年も前に一度見ただけの室生寺の五重の塔を連想することになったのか、その謎も解けかかっていた。

 階段を登り、塔を背に振り返ると、典型的な入母屋造りの本堂の、飾り気のない、ひたすら美しい曲線を描く屋根の輪郭が、本堂の軒の高さと同じ視角で、仔細に見ることが出来る。
私はこの本堂の、入母屋造りの建物の、飾りや文様ではなく、純粋に立体的な造形として、屋根の見事な曲線の美しさに感動したのだった。
古来から日本には、規矩術(きくじゅつ)という木工全般の寸法を扱う技術があったという。
「規」はコンパス「矩」は定規で、この二つを駆使して、複雑な木組を設計したというけれど、現代なら三次元のCADを使って、複雑な三次元の局面も簡単に設計できるけれど、コンパスと定規だけで、どうしてこんな見事な曲面の屋根を作ることが出来たのか、驚嘆に値する技術だと思う。

12本堂2
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最初にここを訪ねた時、私はこの本堂と三重の塔の屋根が瓦屋根ではなかったので、単純に茅葺(かやぶき)と、確かめもしないでブログに書いた。
後に調べて見ると、この屋根は檜皮葺(ひわだぶき)と呼ばれる、檜(ひのき)の樹皮を薄く剥いて、これを重ねて竹釘で止めるという工法の屋根だった。
檜皮葺は日本古来から伝わる伝統的手法で、世界に類を見ない日本独自の屋根工法だという。
寺院の屋根は圧倒的に瓦屋根が多いけれど、これは飛鳥時代に、寺院の建築技術のひとつとして瓦が瓦工とともに百済から伝来して以後、屋根葺きの主流となったようだ。
瓦と違い、檜皮葺や他の木製の屋根葺きの特徴は、屋根の先端が、鋭利な刃物で切り落としたように、シャープな面を生み、屋根の持つ曲線を際立たせると思う。

13三重の塔03


この三重の塔は彩色を施した豪華な塗りなどはなく、地味な木肌そのもので、過ぎた時間の長さが感じられる。
屋根の幅の割りには、胴の部分が細く感じられる。
初重(1階)には、床下に空間のある縁があり、縁側が周囲を巡る。
この縁の採用は、日本最古の法隆寺の五重の塔にはない形式で、平安時代末あたりからの様式だと言われている。

明通寺ホームページには、「どのような形式であっても、その内容の一部または全てを許可なく転載または配布することはご遠慮ください。」とあるので、これに違反しないようにリンクを張らせていただくことにして、この塔の中を紹介したい。
外観からは想像できない、釈迦三尊坐像と内部の装飾に驚かされる。

釈迦三尊坐像と内部の装飾


塔の裏手には小道があって、裏山に入ってみる。
私はここからの塔のシルエットがとても好きで、対角線に伸びた屋根が、いかにも軽々と羽ばたいて飛び上がる鳥を想像してしまう。

14三重の塔04
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裏手の小道を登って行くと、開けた墓地に出会う。
ここには、「棡山明通寺 歴代先師尊霊 創建大同元年」の墓碑があり、歴代の先師が祭られている。
 
15歴代先師の墓


高台になっている墓地の先端から三重の塔を見ると、丁度塔の中腹にあたる高さになり、下から見上げた時とは違った視角で塔を見ることが出来る。
ただ下から見上げるだけでは分からない塔の様子をここから見ると、私の感覚だけれど、この塔の胴と屋根幅、そして上の相輪を含めた全体のプロポーションは完璧なバランスのように見える。

16三重の塔05
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この塔の屋根も本堂と同じ檜皮葺で、屋根の先端がシャープで、美しい曲線が強調されて、塔全体が端正で女性的な優美さを感じさせられる。

17二つの屋根の曲線1
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この視角から見ると、手前の塔の屋根の曲線と、奥の本堂の屋根の曲線が、見事な調和を見せているのを感じることが出来る。
七百年も前の鎌倉時代に、この寺を設計した匠の感性と技術が、どれほどに研ぎ澄まされているかを、感動とともに理解したと思う。

18本堂3
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そして、遥か50年前の学生時代に訪れた奈良県宇陀市の室生寺で五重ま塔をみて、多分同じような感動をしていたのではないかと思う。
この寺を最初に訪ねた時に、無意識の中で、室生寺の五重の塔を思い出した理由はこれなのではないかと、もう一度、室生寺に戻って、あの五重の塔をみたいと、強く心に思ったのだった。
こんな事を考えながら、暫くこの場所を離れがたかった。
裏山の小道を下り、塔と本堂に別れを告げた。

104客殿へ


坂の下には、社務所の他に客殿があり、庭の桜も満開の様子だ。
山門前まで戻ると、向かって左手に客殿がある。

105山門2


客殿には、不動明王が安置してあり、前庭は枯山水の様式のようだ。
奥の桜が見事だった。

106客殿前中庭
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客殿の奥の小門を潜ると、樹齢五百年というカヤの大木があった。
本堂と三重の塔は、この木より二百年も前に作られて、今にあるというのは驚きだ。

107カヤの巨木


勝手門を潜り、勝手道の桜を見ながら山門に戻る。

108外周り道


山門の横から、前庭の枝垂れ桜を見納めて、明通寺を後にした。
何か虫の知らせでもあったのか、思いがけず最高の季節の明通寺を見られたのは幸せなことだった。
(終)

109枝垂れ桜3
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「二つの塔に魅せられて(2)室生寺の五重の塔」に続きます。
まだ整理中なので、しばらくお待ちを願います。

★資料

明通寺のホームページ


★檜皮葺(ひわだぶき)
檜皮葺(ひわだぶき)とは、桧皮葺きとも書き、屋根葺手法の一つで、檜(ひのき)の樹皮を用いて施工する。 日本古来から伝わる伝統的手法で、世界に類を見ない日本独自の屋根工法である。
多くの文化財の屋根で檜皮葺を見ることができる。
桧皮葺職人さんの佐々木真さんのブログ「桧皮葺師の徒然日記」には桧皮の作り方から、葺き方まで、分かりやすく解説されています。

桧皮葺師の徒然日記


★時代参照
★飛鳥時代(592年-710年118年間)118年間にかけて飛鳥に宮・都が置かれていた時代を指す。草創期は古墳時代の終末期と重なる。
★平安時代(794年 - 1185年/1192年頃)延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指す。
★鎌倉時代(1185年頃-1333年)幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。

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