BOGGYのイタリア料理と山と野草

イタリアファンのBOGGYが作って食べるイタメシのプログです。 登山、ピクニックのアウトドア・イタリアンはいかがでしょう。 革工芸も始めました。

世に隠れた名曲あり(3)"Don't cry for me Argentina"


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Don't cry for me Argentina

この曲を始めて聴いたのは、1977年にアメリカで発売された、カレン・カーペンター(Karen Carpenter)のアルバム"Passage"に収録されていた曲でした。


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このアルバムは1969年に初めてリリースされた彼女のアルバム"Ticket To Ride"から8年後で、ほぼカーペンターズのヒット曲のアルバムも終わった頃のもので、実際にこのアルバムで、私が聞いたことがある曲は"Sweet, Sweet Smile"位しかなかった。
このアルバムの中間に、2曲セットで8分に近い録音の曲があって、最初の曲名は"On The Balcony Of The Casa Rosada"でもう一曲が"Don't Cry For Me Argentina"だった。
最初の曲は、今なら混声コーラスに男性のソロが入る、ミュージカル"Evita"の一シーンだったと分るけれど、その時は訳が分からず、途中で止めたくなった。
もし止めていたら、後ろの"Don't Cry For Me Argentina"を聴かずに終わっていたかもしれない。
この曲を聴いた場所は、以前私が勤めていたオーディオメーカーの視聴室で、当時得られる最高の音響機器を揃えたシステムだったせいもあるけれど、フルオーケストラと混声コーラスをバックに歌うカレン・カーペンターの声に鳥肌が立つ感動を覚えた。
後で調べて、100人を越える団員の"ロサンジェルス・フィルハーモニック"と50人の声の"グレッグ・スミス・シンガーズ"との共演だと分った。

そしてこの曲は、英国の作詞家"ティム・ライス" (Sir Timothy Miles Bindon "Tim" Rice)とやはり英国の作曲家"アンドリュー・ロイド・ウェバー"(Sir Andrew Lloyd-Webber)
で二人とも"Sir"の付く只者ではない作詞家作曲家によって作られた曲だった。

この曲は最初、イギリスの歌手及び女優であるジュリー・コーヴィントン(Julie Covington)の1976年発表のスタジオ・アルバムで初めて発表され、同時に発売されたシングルは、1977年2月に1週間の間全英シングルチャートの1位の座に着き、英国内だけでほぼ100万枚が販売された。
これがそのオリジナルである。

ジュリー・コーヴィントン Don't Cry for Me Argentina(1976)


1978年に、本来ミュージカルとして作曲されたこの曲は、イギリスのミュージカル女優、歌手エレイン・ペイジ(Elaine Paige)の主演でロンドンのウェスト・エンドで初演され、2900回上演のロングランになった。
エレイン・ペイジと言えば、最近の出来事で、イギリスのタレント発掘番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」でセンセイションを巻き起こしたスーザン・ボイル(Susan Boyle)の予選の録画がYoutubeで一週間で一億回を越えるアクセスを記録し、世界的に有名になったことは記憶に新しい。
この予選で、審査員の質問に「エレイン・ペイジのようなプロの歌手になりたい」と言って満場の失笑を受け、会場の雰囲気は零下の室温になってしまった。
どれほど有名な人を自分の目標に掲げたのか・・・しかし、スーザン・ボイルの声と歌の実力はエレン・ペイジを凌ぐかもしれないものだった。

エレン・ペイジ Don't Cry for Me Argentina


つまりこのような経過を辿ったこの曲は、1977年に出版社を通じてカーペンターズに提供され、カレン(Karen Carpenter)が歌うことになったのである。
つまりミュージカルが公開される前、ジュリー・コーヴィントンに続いて、最初にオリジナルをカバーすることになった。
兄のリチャードは、この曲の譜をみて、広い声域が要求され、得に厚い低域はカレンに一番向いていると直感したと言っている。

カレン・カーペンター Don't Cry for Me Argentina


この三曲を聴いて見て貰えれば、カレンの気品のある声と、量感のある低域は、他の二人には持てないものだと分る。
ジュリー・コーヴィントンによって初めて紹介されたので、ジュリー・コーヴィントンは大ヒットの御褒美を貰えたが、彼女がカバーで歌ったとしたら、評価は違っていたかもしれないと思う。
この曲を歌うには、三つの条件があると思う。
一つは声の資質で、豊な音域と気品のあるものでなければならない。
二つ目は、曲を劇的に表現できる歌唱力が必要なこと。
三つ目は、バックのオーケストラとコーラスを編成してレコーディングできるというプロデューサーの力量が不可欠になる。
つまり、この曲を好きだからと言って簡単に歌う訳には行かない曲なのだと思う。
以後、多くの歌手がこの曲を歌うことになるし、1996年にはミュージカル映画として、マドンナが主演のものも作られた。これは世界的なヒットとなり、全世界で1億5千万ドルの興行収入を得た。
マドンナのこの曲のシングル版も大ヒットになった。
これで、隠れた名曲は20年目で世界的に日の目を見ることになったと言えるかもしれない。

マドンナ Don't Cry for Me Argentina (1996)

私の感想を言うなら、彼女に欠けるものがあるとすれば、声の上品さではないだろうか。

サラ・ブライトマンはイギリスのソプラノ歌手で、女優、ソングライター、ダンサーでもある多才な、超がつく有名タレント。

サラ・ブライトマン Don't cry for me Argentina


ジョン・バエズ(Joan Baez)
日本でもブームを作ったジョン・バエズさん、私は嫌いな人ではないけれど、私の挙げた三つの条件を無視して、ご自分のスタイルを貫く意志の固さは感服するけれど、やはりあなたが歌う曲ではないのでは?

ジョン・バエズ Don't cry for me Argentina


アイルランド・ダブリン生まれのシネイド・オコナー
カトリックの厳格な生活に対する反発によってすさんだ少女時代を過ごし、穏やかさと攻撃性とが同居する作風の曲が特徴。
こうした相反性はスキンヘッドという彼女のスタイルにも、カトリックに対しての愛憎の念が入り混じる言動にも表れている。
この人のタレント性は、作詞作曲に50パーセント、歌う資質に50パーセント。
やはり50パーセントの力量で歌う曲ではないのでは?

シネイド・オコナー Don't cry for me Argentina


スーザン・エレンス(Suzan Erens)とアンドレ・リュウ(Andre Rieu)
アンドレ・リュウ(Andre Rieu)はオランダの音楽家・指揮者・ヴァイオリニストで、世界中で演奏活動を行い、ヨーロッパやアメリカで爆発的な人気を誇っている音楽家である。スーザン・エレンスは、オランダの音楽アカデミーに在学中、アンドレ・リュウに認められ、彼のオーケストラとツアーに参加、加えて、リュウのアルバムやテレビスペシャルのいくつかソリストとして出演した。
新進のタレントである。
アンドレ・リュウが歌わせただけあって、優れた資質を持つ証拠かもしれない。

スーザン・エレンス Don't cry for me Argentina


パティ・ルポーネはアメリカの歌手で女優さん。
1979年、この曲のミュージカル「Evita」でトニー賞を受賞。
この曲の歌手としてお墨付きを貰ったと言えるのでしょう。

パティ・ルポーネDon't cry for me Argentina


リア・サロンガ(Lea Salonga)
ミュージカル、ミスサイゴンの「キム」役で有名になった、フィリピンの歌手で女優さん。
アジア人でこの曲を歌ったのは始めてになるのでしょう。
凄い資質のある人ですね。

リア・サロンガ Don't cry for me Argentina


オリビア・ニュートン・ジョン(Olivia Newton-John)
1970年代から1980年代半ばにかけて、日本の洋楽ファンを一世風靡した人。
最後まで聞けないのですが、最後まで聴いてみたいと思う人ですね。

オリビア・ニュートン・ジョン Don't cry for me Argentina


ドナ・サマー(Donna Summer)
アメリカ合衆国のポップ・ミュージック歌手。
70年代のディスコ・クイーンとして君臨したドナ・サマー。
普段の歌い方とはガラリと変わってこんなに真面目?に歌わせたら、こんなに歌えるとは知らなかったと驚かされた人です。

ドナ・サマー Don't cry for me Argentinaゅ(Spanish TV)


ペチュラ・クラーク(Petula Clark)
シャンソン歌手で日本でもファンの多い人。
オーソドックスな編曲ではないけれど、
この人の歌唱力はさすがと言わざるを得ませんね。

ペチュラ・クラーク  La chanson d'Evita


パロマ・サン・バシリオ(Paloma San Basilio)
この人はスペインのマドリッドの生まれ。
マドリッドの劇場で、「エビータ」のスペイン語バージョンのミュージカルで売り出した人。
プラシド・ドミンゴなどと共演する実力のある歌手です。
この人の卓越した表現力はこの歌を歌う人の中でも一、二を争うのでは?

パロマ・サン・バシリオ No llores por mi Argentina


ナチヤ・ゲバラ(Nacha guevara)
1940年、アルゼンチンの生まれ。
女優、歌手、ダンサーそして政治的活動家。
一時、政治的亡命をするが、アルゼンチンが民主化された1984年に戻り、1986年にこの曲をテアトロ・マイポのリサイタルで歌い、成功を収めた。
最後に本場アルゼンチンでの歌をどうぞ。

ナチヤ・ゲバラ No llores por mi Argentina


他にもまだこの曲を歌った人がいますが、敢えて聴いていただくこともないのでは?と、省略しました。
ジョン・バエズやシネイド・オコナーも紹介から外そうとしましたが、私の個人的な基準では合格しなかったけれど、私以外の方は気に入るかもしれないとリストに入れておきました。
さて、みなさんは誰の歌がお気に召しましたでしょう。

集まったこの曲も愛聴版のCDになりました。
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この歌を捧げられたエヴァ・ペロン(エビータ)については、長くなるので説明を省きました。
詳細はこちらで
エバ・ペロン - Wikipedia


エバ・ペロンのアルバム(yuotube)


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