BOGGYのイタリア料理と山と野草

イタリアファンのBOGGYが作って食べるイタメシのプログです。 登山、ピクニックのアウトドア・イタリアンはいかがでしょう。 革工芸も始めました。

臥竜の石庭(1)

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臥竜(がりょう)の石庭 (2005/03)
この写真をご覧になった方は、これは石庭のようだけど竜安寺のではないですね。
おおかたの方はこう思うでしょう。竜安寺の物まねかぁ・・という方もいるでしょう。


竜安寺の石庭は今ではスーパースターのように超有名だし、世界遺産にも登録されたしで、知らない人はいないでしょう。
しかし、もし私が、竜安寺の石庭は二番煎じで、正真正銘のオリジナルは岐阜県の御嵩町にある大智山愚渓寺の禅の庭「臥竜石庭」である。と言ったら皆さん信じますか?

当の私も偶然に愚渓寺を知り、そこに「愚渓寺の禅の庭、臥竜の石庭は、竜安寺の石庭の手本になった」と書かれていたのを読んだ時には一瞬唖然としてしまった。
竜安寺の石庭こそ枯山水・石庭の元祖と私自身がそう思っていたから、にわかには信じられなかったのだ。
次の瞬間には猛烈な興味が沸き、早速インターネットで調べ始めると、この説の基本になる二つの寺の共通点がすぐに分かった。

1.愚渓寺の創建は古く、応永三年(1396年)、後に京都妙心寺の五世になった「義天玄承」が開山した。
2.竜安寺は、宝徳2年(1450)室町幕府官領細川勝元が、徳大寺家の別荘を譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山として創建された。

愚渓寺の開山の時期には諸説があるけれども、開山の当事者としては「義天玄承」が間違いなく両方に関わっていて、愚渓寺の時にはまだ義天玄承は妙心寺を継いでおらず、竜安寺は義天玄承が妙心寺を継いでからで、愚渓寺の方が先なのである。

1と2は、インターネット上の情報の一つであり、信憑性の検証はまだしていないが、上の仮説をまるで可能性が無いとは言えない理由の一つである。
竜安寺の石庭の正確な作られた年代、作者は特定されていないという説もあって、今すぐ検証できるわけでもないけれど、非常に面白い歴史ミステリーを発見したわけで、これからおいおい調べて見たいと思う。

しかし竜安寺にすれば、こんな説で愚渓寺が有名になってしまうと都合が悪いかもしれませんね。


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コメント


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楽しい一日

こんばんは。
昨日は御馳走様でした。

みたけの森にラ・フロバンスでのお茶
そして何より、歴史的に衝撃的な愚渓寺

いつもの山にない、珍しい過ごし方ができました。ありがとうございました。

和たん | URL | 2009-07-02(Thu)22:56 [編集]