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釣り人の詩

今年最後の釣りに誘われて、御嶽山塊の北の継子岳(ママコダケ)を源流とする川に入りました。 私の登山はまだ2年と少し、登山を始める前から、釣りや山菜採りで沢にはなじんでいました。 しかし、沢登りは登山と同じに体力が必要です。そのため以前は本格的な渓流釣りに同行することは出来ませんでしたが、登山を始めてからは体力も付き、本格的な渓流釣りがどんなものか初めて体験することができました。 これまで何度も釣りに付き合って、同行の釣り師の写真を撮ってきましたが、同じ渓流の景色の写真を撮っていて、釣り人が写っているのと、無人の景色では何か雰囲気が違うことに気が付きました。 確かに人気のない自然だけの景色もそれはそれでとても良いのだけれど、釣り人の背中が写る渓流の風景には、そこになにか詩情を感じるのです。
釣り人は手元から美しい曲線を描いて伸びる竿の穂先から、川面にたれる道糸に着いた小さな目印を一心に追う。ここに水面下の川の流れやイワナやアマゴの動き(あたり)がこれに伝わるのだ。 この一点に集中するとき、釣り人は、仕事や様々な現実生活の雑念が心から抜け去り、水面をそよぐ風や、木々を渡る鳥のさえずり、渓流の瀬音に埋もれ、周囲の自然と一体化して溶け込んでしまうのだ。 だから決して自然の景観を損なう異物ではなくなって、詩情を感じさせる存在になるのではと思う。 今回は、下流の広い河原に降りてから、8時間かかって、この写真の終点の大滝まで詰めるまでの渓流の景色を、出来るだけ釣り人を入れて撮影してみました。 そこに二つとして同じ景色はなく、それぞれに見事な景色を見せてくれます。 説明は抜きで、そこに写っている釣り人になった気分でご覧ください。
[続きを読む] テーマ:フィッシング - ジャンル:趣味・実用
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